お笑い論。

2006年12月25日 思ったこと
M-1。
家事をしながら飛ばし飛ばしで見ていました。
で、率直な感想。
上位者が言う「賞レース」の漫才って何?
そもそも、漫才って何?

関西で生まれ育ったPちゃん。
あんまり“漫才”を意識したことはなかった。
勿論、他の地方の方が「梅田はみんな漫才師。」ってのも
やっぱり理解できません。
梅田の方々はみんな一生懸命、生きている自然な会話です。

しいて言えば、会話の中にユーモアーと思いやり、気遣いがあるだけです。
相手がどう思うか?考えているか?
それをもっと発展させたものが、会話の中の“間”であり
“ボケ”であり“ツッコミ”であったりと形を変え、個性により形成される。

今回のM-1ではゴールデンタイムに素人のコンビが初出場する快挙を果たしたけど、
結果は、評価はやっぱり?残念ながら低かった。
個人的な感想は、素人さんのネタは面白く、面白さだけでは中の上。
だけど、評価は下から2番目…

多分、素人さんは面白かったけど漫才じゃない?
漫才でなくユーモアーのある会話で終わってしまったのが残念。
面白いだけに惜しかった…
一生懸命、生きている自然な会話の個性だけだったのかな?

“プロ”って呼ばれる方々はその点、
面白い、面白くないは別にして「作りこみ感」があるように感じる。
「作りこみ感」は言い方を変えれば、「作りこんだ世界に引っ張る能力。」でしょうか
会話だけなのにありもしない背景が見えるような引き込む力?

少なくとも、これが漫才が落語同様、話芸っていわれる部分ではないでしょうか。
話芸であるから、テクニックがあり、さらに言えば
個性だけで勝負するのではないのでマンネリにならない。

関西の面白い素人は「面白いがいつでも同じパターン。」

生きている年数だけ、ひとつのパターンを磨いていくので
下手をしたら、若いプロよりも1点もののネタ(話題・トークスタイル)なら
面白い場合が多い。年数を費やしている分だけ“間”が自然。
それだけに「恐るべし素人」たちです。

M-1に出てきた若いプロの多くが今ひとつ笑えないのは
この“間”がまだ、体得できていないし、引き込む能力が足りない分
テンポの速いしゃべりで、勢いで引き込もうってするのが妙に痛々しい。
聞くに堪えなかったり、空回り、すべりになる。

今までM-1を始め、漫才を深く考えたこともなく、
お笑い・漫才=ひとつの職種。って漠然と思っていたが
今回、じっくりとM-1を見て考え直しました。

「賞レース」の漫才は話芸のスキルを見せるもので
昔、普通に見聞きしていた15分の漫才は起承転結のしっかりした
ロジックを楽しむものなんでしょうか?

関東の方々はM-1をどう見たのだろうか?

ではでは。

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